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あけましておめでとうございます。
新年ということで、卯、兎を紹介します。
まずは兎川寺(松本市里山辺)に初詣で。
松本市内を歩くこと18,000歩、
穏やかな天候の中、あちこち勉強してまいりました。
兎川寺の案内板 兎川寺通路入口の額「兎と川」
兎川寺の通路入口の正月用の額が兎と川。
寺紋は三階菱に真向き兎。本堂の唐破風には鳳凰(頭がなくなっている)、虹梁上に麒麟、龍、木鼻の唐獅子に獏。
豪快な彫刻と思ったら、高部村の藤森広八(初代)の作(1820年)でした。
唐破風の中央の懸魚を「卯の毛どおし」と言うが、
極めて細かい卯の毛を通すのかどうか意味が不明です。
兎川寺の寺紋
大隈流上社宮大工 原五左衛門の弟子で、立川でも、大隈でもなく、同時代に独自の建築を展開した初代広八は、諏訪大社上社本宮の東端の布橋、四脚門、大町市の霊松寺山門、岡谷市の照光寺薬師堂、筑北村の碩水寺本堂等、近年いくつかの作品が判明してきている。ご子孫も茅野の高部におられて、これから作品も新しい評価がされることと思われます。
ちなみに初代は藤森広八包近、二代は治郎左衛門包道、三代は音次郎宗近であるが、昔はあて字等が多く、時として少しずつ違っているので困惑することがある。
卯の花は豆腐のおからのことを言うが、植物ではうつぎの花のことを言うそうで、「卯の花のにおう垣根に・・・」と歌われている。
卯は繁殖力旺盛で多産のため、子孫繁栄の吉祥とされているが、反面、「因幡の白兎」「カチカチ山」「兎と亀」等、こわくて、ずるい兎の話があるのはどうしたことでしょう。
兎(W125mm H130mm L100mm)
立川啄斎の「兎」(W400mm H130mm L100mm)
さて、上のかわいい写真の兎。岡谷市A・Yさん所有のものです。
小さいのは無銘、大きいのは啄斎作で、彼の作品の中でも傑作だろうと思われる、素晴らしい作品です。お正月ということで、特別に借りて紹介させてもらいました。
次に「月に兎」。
月刊誌「目の眼」1月号(里文出版)に紹介されている箇所を引用して紹介します。
「中国には、うさぎにまつわる古い神話があり『淮南子』という紀元前に成立した本にも書かれています。それは、神話時代の聖王・堯の時代に、十個もの太陽が出現して大地が焼き尽くされそうになったため、堯の命を受けた弓の名手・羿(げい)が九つの太陽を射落として民を救います。羿はその褒美として西王母から不老不死の仙薬を与えられるのですが、それを妻である嫦娥(じょうが)が盗んで月へ逃げてしまうんです。
一説によると、月に逃げた嫦娥は蟾蜍(せんじょ)というヒキガエルとなり、一緒に連れて行った召使いがうさぎとなって、二人は月で不老不死の仙薬を作り続けているというのです。
一方、妻に逃げられた羿はそれでも妻を恋しく思い、月を見上げて泣いていたといわれ、それが中秋節(月見)の起源になったと伝えられています。日本では餅をついているといわれる月のうさぎは、この神話が元になっているんですね。この話は古くから語り継がれていて、多くの工芸品にも描かれる画題となりました。・・・・」
また、「波に兎」の組み合わせもあります。
「月と兎」「梅と鶯」「竹と虎」「もみじと鹿」など、広く好まれて様々に用いられる組み合わせの一つで、その図柄は着物や家紋の文様など様々なものに見られます。
調べてみたところ、「月に兎」と同意ともとれる由縁があるらしい。
「波に兎」は謡曲「竹生島」からの題材だという説があり、その詞には
「竹生島も見えたりや 緑樹影沈んで 魚木に登る気色あり
月海上に浮かんでは 兎も波を奔るか 面白の島の景色や」とあります。
木が湖に映り、湖の中の魚が木を登っているように見える。月が湖面に映り、兎が波の上を走っているように見える、という意味でしょう。
写真上は箕輪町北小河内の五社権現神社本殿手狭の「波に兎」
伊藤長左衛門矩重建築、寛政九年(1797年)
(「大隈流の建築」鳥影社より引用)
ところで、私の家内の実家はさいたま市浦和区神明の中山道から30m位入ったところにありますが、歩いて8分位のところに調宮(つきのみや)神社があります。桜の花の満開の頃、散歩に行った思い出がありますが、この神社は調=月とのことで、月神の使いとされる兎の石像が狛犬の代わりに境内の両側にあります。水の口も兎になっています。「つき」を呼ぶということで、勝負事にもよいそうです。お参りください。(調宮神社をネットで検索してください)
最後に「卯」の文字について。
この字は門を無理にこじ開けて中に入り込む様を示す指示文字であり、
さらに二本の柱(人)が志を持ち寄って協働しようとしている姿を意味しているそうです。
その意を自分に重ねて、一年足を地につけて、腹八分、仕事八分を心掛けていきたいと思います。
本年もよろしくお願い申し上げます。
おまけ
写真右は塩尻市北熊井の諏訪社本殿扉左方の「蘇鉄に兎」
村田長左衛門矩重建築、天明元年(1781年)
(「大隈流の建築」鳥影社より引用)
兎の中国切手(1987)
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