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「日本の美術6」(至文堂)より引用・南禅寺三門二階天井絵(京都)
サンスクリート語(Kalavinka)の音写。
妙声、美音、妙音鳥などと訳す。雪山、極楽浄土にいるという想像上の鳥。
聞いて飽きることのない美声によって法を説くとされ、人頭鳥身の姿で表される(大辞泉)。
江戸18世紀の浄瑠璃「夕霧阿波鳴渡」の中に
「誠ある傾城と迦陵頻伽のおん鳥は絵にかいたも見た者ない」
というせりふがあるところから、傾城も迦陵頻伽も現代では言葉すら知る人は少ないが、
江戸期には一般庶民にもなじみがあったと思われるし、迦陵頻伽は女性なのです。
迦陵頻伽の図像は、日本にはおそくても8世紀には伝わったとみられ、涅槃図や装飾の華蔓、仏の光背などに広く用いられています。
さて、昨年の11月6日、石川雲蝶(1814年江戸の生まれ、32歳から越後で数多くの彫刻を残した名工)彫刻を見るため、新潟の魚沼市、西福寺、永林寺を訪れました。
着色されていて厚い板を彫り抜いた彫刻に圧倒されました。
その中の永林寺に迦陵頻伽がいるのです。
永林寺発行の解説書「針倉山 永林寺」より引用・御本尊上部の迦陵頻伽
実は私は永林寺は4年位前にも訪れていて、写真集(解説本)を持っていたのですが、4年前の写真集には「天女」と紹介されていて、今回の改訂版の写真集には正しく「迦陵頻伽」と紹介されています。
新しい写真集には
「一見すると天女と見分けがつきにくいが、その姿は、上半身は翼をもつ菩薩として、下半身は鳥の姿である」
と正直に紹介されています。
西福寺開山堂の天井彫刻は圧倒的な迫力で、雲蝶は新潟のミケランジェロの名にふさわしい。
さて、身近なところの迦陵頻伽は、岡谷市の照光寺の本堂正面内陣に、伊藤長左衛門の素晴らしい作品があります。
ただし、これも「大隈流の建築 柴宮長左衛門矩重伝」(鳥影社)には正しく「迦陵頻伽」と紹介されているが、照光寺発行の「瑠璃の光」には、間違えて「飛天」と紹介されている。
正しくは、照光寺内陣の欄間彫刻は正面が迦陵頻伽で、左方が琴を弾く天女、右方が笙を吹く天女で飾られている事になります。
写真上は「大隈流の建築 柴宮長左衛門矩重伝」(鳥影社)より引用・照光寺本堂の迦陵頻伽
(左下に足がよく見える。足の右上には翼が見える)
写真下は 「瑠璃の光」(照光寺)より引用・「飛天」と紹介されている
琴を弾く天女 (「大隈流の建築」より引用)
笙を吹く天女 (「大隈流の建築」より引用)
続いて、松本市内田の金峯山牛伏寺の本堂正面にも、彫りの深い迦陵頻伽が飾られています。
かつては諏訪の高島藩領であったため、明治政府の「廃仏毀釈」運動からまぬがれて、立派に残りました。
当時の松本藩は明治政府に率先して恭順したため、多くの有名寺院が廃仏毀釈の運命にさらされて、壊されてしまったそうですが、本当に残念なことです。
牛伏寺の本堂が誰の建築なのか不明ですが、改めて尋ねてみたいと思います。
牛伏寺本堂正面の迦陵頻伽
達磨法師も、迦陵頻伽も、仏教の中に存在しているものですが、
長い歴史の中では神社の蟇股(かえるまた)の中にひっそりと彫られているものもあるようで、
彫師の得意技か、内緒で彫ったか、知らないで彫ったのか、思いはめぐります。
さて、読者の方の菩提寺には迦陵頻伽がいるかもしれません。
よーく見てみましょう。
注目すべきは鳥の翼と足です。
お寺の和尚様が見ていても気づかないくらいですから・・・・・(興味がないか・・・)。
こんなことから彫刻に興味を持っていただけたら幸いです。
「日本の美術6」(至文堂)より引用
左は螺鈿紫檀琵琶 槽(裏)部分の迦陵頻伽(正倉院宝物)
右は舞楽図屏風部分(栃木・輪王寺)
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