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立川を代表する彫刻、粟穂に鶉。
諏訪大社上社本宮、左片拝殿虹梁上や、静岡浅間神社の蟇股。
静岡浅間神社 蟇股
(「社寺彫刻─立川流の建築装飾─」淡交社から引用)
ある日、ある月刊雑誌を見ていたら、「根付の意匠」(吉田ゆか里)にあっと驚く記載があった。
《粟穂に鶉は日本でも古くから書画工芸に広く見られる意匠である。
・・・・・・「粟穂に鶉」は本来単なる秋の景色の図ではない。
中国語の読みの場合なので、日本ではあまり知られていないが、
「粟」が実りの象徴である「穂」であることが重要なポイントになる。
「穂」の音「SUI」は中国語で同音の「歳」と重なり、また「鶉」は
正式には鵪鶉「anchun」でやはり同音の「平安」と重なり、つまり
両方で「1年の平安」を意味するのである。だから2匹の鶉が2つの
粟穂と描かれていたら「年々平安」になる。・・・・・・ (文中略)》
今では、鶉は蕎麦屋の玉子にしかお目にかかれないが、江戸時代は鶉狩や鳴合せ等、鶉熱は加熱を極めたとある。改めてその眼で立川の粟穂と鶉の彫刻をよく見ると、なるほどと納得するとともに、中国文化と日本文化について考えるのでした。
「粟穂に鶉」立川流 中村七十郎(董斎、辰野町)のらんま 縦312mm×横1708mm
「粟穂に鶉」
山梨県中巨摩郡落合村(現 南アルプス市)の深沢元左エ門重光の明治22年作
(山車につけたものか)縦180mm ×横720mm
蘇鉄に兎の彫刻
(「大隈流の建築」鳥影社から引用)
「蘇鉄」など信州になじみのない植物を彫った大隈流伊藤長左衛門。
もしかして、これにも深い意味があるのでしょうか。
兎については改めて紹介するとして、知っている人がいたら教えてください。
内憂外患の今日この頃。
私の心にも日本経済にも日本にも中国にも年々平安が祈られます。
最近私の周辺に妙に龍の木彫があらわれるのです。
それもあっと驚くような!
誰が彫ったものでどうしてここにとわかるまでにはちょっと時間がかかりそうです。
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