所長コラム  正博の彫り出しもの(木彫)アラカルト     
其の十・恵比寿と大黒 ② (出雲大社)続編
   

高村光太郎の厠の扉の「光」のことを以前書いた(2011年4月26日)。


7月11日、尊敬する先輩A・Uさんが、本を届けてくれた。
「二畳で豊かに住む」
(西和夫著・集英社 2011年3月22日第1刷発行)


この中に光太郎の花巻の小屋と生活が紹介されている。
生々しい写真もある。


そのうち第二章「高村光太郎の山小屋─雪深い里で詩作にはげむ」の中の一部分を抜粋する。


 風呂場を造る

 昭和二三年九月二日、村人たちが風呂場を造ってくれることになった。九月二三日、風呂場地ならし。柱を立て、屋根の板を張る。一〇月一日、風呂場完成。一一月一三日、風呂を焚く。「初めての風呂使用。月を見ながら湯にひたる」。

 風呂場はこのようにして建った。では便所はいつ建ったのか。駿河重次郎氏の「高村先生の思い出」(草野心平編『高村光太郎と智恵子』筑摩書房)によると、「粗末な便所」が最初からあったらしい。しかしそれでは不便なので新しく建てることになり、良い材料を集め、「堅牢に手落ちなく」造った。「先生のかいた光という文字も彫」った。その文字は現在もある。現地の説明板によると便所の完成は昭和二五年だという。

なんと、ちゃんと残っているのです!!

建物は昭和52年に2代目の覆屋がつくられ、その中に今もあり、
大切に保存され、厠と「光」も今もあるのです。

仕事に忙殺されないうちに、行かなくては・・・!!
感激!!


 
                                           (2011年7月14日)