所長コラム  正博の彫り出しもの(木彫)アラカルト     
其の拾・恵比寿と大黒⑤(立川和四郎富棟)
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立川流初代和四郎富棟(1744-1807)の小品の彫物は非常に数が少ない。(右は諏訪史談会発行「立川流の建築」より「冨棟像」)

五意達者という言葉がある。
1)式尺の墨曲(しきじゃくのすみかね)─設計、墨付け( ※参考資料には墨曲の「曲」は金偏に曲とある)
2)算合(さんごう)─積算、コストプランニング
3)手仕事(てしごと)─施工
4)絵様(えよう)─細部の装飾的模様、形状さらには全体の形状
5)彫り物(ほりもの)
                          

幕府の大棟棟の家平内家の政信の秘伝書「匠明」の中に説かれている。
富棟とその薫陶を受けた2代冨昌こそ、この五意に通じた人であったと思う。

今では私達の建築設計や施工の仕事は多岐多様にわたり、
建物の設計だけに限っても、意匠、構造、電気、機械設備、積算と細分化し、
さらには企画、計画から、異常なまでに膨大となった建築にかかる法令の理解なくして建物の完成はない。

また、ありとあらゆる材料や製品が整理のつかないほど氾濫し、
何を選び、何を捨てるか、何にこだわり、求めるか・・・。
五意どころか100意を達者とするためには、それぞれの達者が集まらねばならない時代になっている。
信念とセンスなしでは生きていられない複雑な時代となった。

富棟は五意全てに達者であって、
さらには健康とそのカリスマ性、ほどよい性格の良さ、経済的な支えや見守ってくれる家族がいてこそ、
後世に伝わる偉大な流派の創始者となり、4代にわたる礎を造り上げることができたと思う。

さて、下の写真は富棟の恵比寿大黒で岡谷のA・Yさんの所有である。

富棟の(銘・サイン)の特徴はどうもその墨の色合いにある。
この墨の色は他にはない。黒さの度合が特別であり、墨痕黒々として鮮やかとはこの事かと思う。
見つめていると富棟の彫っている姿が目に浮かんでくるようだ。


 
立川富棟の恵比寿大黒(右の恵比寿、左の大黒ともにH110mm W70mm L70mm) 右写真は下面



富棟の謎
①何故、江戸で成功できたのに信州に帰ってきたか。
 江戸という大都会の方が刺激も多く、文化や粋、与えられるものも多かったかと思うが・・・。

②工房は角間のどこにあったのか、そしてどうなったのか・・・。


③富棟は文化4年(1807年)12月19日に亡くなって法名を現底院寿山居士といい、上諏訪こだつしょう墓地に葬られていると、細川隼人先生の著書「立川流の建築」(諏訪史談会発行)に書いてありますが、この墓地はどこなのでしょうか。

 
                                           (2011年7月12日)