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立木種清の恵比寿(右・H240mm W140mm L65mm)と大黒(H240mm W190mm L65mm)
裏面は恵比寿に「信州下諏訪住立音四郎種清作」、大黒に「信州下諏訪住立音四郎種清彫刻」とある
俵の上に正座する大黒、片ひざで座る恵比寿が一般的です。
しかしこの恵比寿は鯛をかかげて踊っている、歓喜している。
大黒は俵の上に重そうな袋を担いで立っている。
柱か壁にはりつけてあったものでしょうか。
すごい!この発想とデザイン。
まさに、宇宙に踊っているようだ。
平成15年、下諏訪町の諏訪湖博物館で
特別展「名工 立木音四郎種清~今に伝える立川流建築彫刻の技~」が開かれた。
案内書の一部を抜粋して紹介する。
立木種清は、本名を音吉・音四郎といい、天保3年(1832)11月21日、下諏訪小湯の上 土田家に生まれ、後姻戚関係の立木家を継いだ。
種清は幼少より絵画・工芸を好み、後に京の画家高橋樵山に師事して本格的に学んだという。
弘化4年(1847)15歳のとき諏訪の立川流二代富昌に弟子入りし、寺社建築・彫刻の技術を学んだ。ここで生来の才が磨かれ、三代和四郎富重・その弟専四郎富種とともに「諏訪の三四郎」と呼ばれるほどになったという。諏訪大社下社大祝金刺信古はその才を愛し「種清」の号を与えた。・・・・・ |
立木種清(天保3/1832~明治41/1908年)は下諏訪町の来迎寺墓地に眠っている。
こんな喜びを味わえる瞬間が、いつ、どこかにあっただろうか。
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