思文閣墨蹟資料目録「和の美」451の62 岸駒作の猛虎図(図1)の解説にも、
「岸駒は自他共に認める虎の名手として知られる。近世の日本画壇では、虎を実見する機会は少なく、猫の容貌からの想像図が多いが、岸駒は寛政11年(1799年)、清人より虎頭と四肢を贈られ、実物に肉薄する虎を描くようになる。本図では、岸駒の得意とした震えるような肥痩のある線筆と、細かい毛描き、陰影のぼかしにより、毛並みの豊な質感が見事に表される。まさしく虎視眈々と様子を覗う眼光の鋭さや、少し身を屈めた隙のない野生味までも遺憾なく表現された作品である。」 とある。
白虎は都の天空を守る神獣である。(北の玄武、南の朱雀、東の青龍、西の白虎)。
虎は強さの象徴として「龍虎相打つ」というように並び称される。見ごたえのある絵画や彫り物は社寺建築にもってこいの題材と考えられ、多用された。実物を見なくても絵手本や下絵図集、和漢三才図絵(1712)、北斎(1760-1849)漫画等を見て、彫られたものと思われる。 |
図1.思文閣墨蹟資料目録
和の美」451の62 より引用
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