所長コラム  正博の彫り出しもの(木彫)アラカルト     
其の六・虎
     
 虎の社寺装飾の彫刻はいたるところにある。近くでは小井川賀茂神社(写真1)、二十四孝の揚香は平福寺本堂(二十四孝は改めて紹介する)、先般紹介した照光寺の水屋の十二支。                   
 虎はやはり中国文化の伝来そのものと思われる。本来虎は近世の日本にはいなかったと思われるが、水虎伝や三国志が伝わる中で、武田信玄を「甲斐の虎」、上杉謙信を「越後の虎」と称したり、加藤清正が朝鮮出兵中に虎狩りをした等、なじみが深く、虎を用いたことわざもたくさんある。
写真1. 小井川賀茂神社   
                                                     

 思文閣墨蹟資料目録「和の美」451の62 岸駒作の猛虎図(図1)の解説にも、

「岸駒は自他共に認める虎の名手として知られる。近世の日本画壇では、虎を実見する機会は少なく、猫の容貌からの想像図が多いが、岸駒は寛政11年(1799年)、清人より虎頭と四肢を贈られ、実物に肉薄する虎を描くようになる。本図では、岸駒の得意とした震えるような肥痩のある線筆と、細かい毛描き、陰影のぼかしにより、毛並みの豊な質感が見事に表される。まさしく虎視眈々と様子を覗う眼光の鋭さや、少し身を屈めた隙のない野生味までも遺憾なく表現された作品である。」  とある。


 白虎は都の天空を守る神獣である。(北の玄武、南の朱雀、東の青龍、西の白虎)。   
 虎は強さの象徴として「龍虎相打つ」というように並び称される。見ごたえのある絵画や彫り物は社寺建築にもってこいの題材と考えられ、多用された。実物を見なくても絵手本や下絵図集、和漢三才図絵(1712)、北斎(1760-1849)漫画等を見て、彫られたものと思われる。
図1.思文閣墨蹟資料目録
和の美」451の62  より引用

                                         

 2. 啄斎の虎
           (W140mm H110mm L100mm)

 啄斎は立川専四郎冨種
   (1817/文化14年-1887/明治20年)。
 代表作に、諏訪大社上社の脇障子「松に鷹」など。

 

3. 湘蘭の「小持寅」
 (W490mm H250mm L270mm)

啄斎には三男、三女の子供があり、湘蘭は啄斎の末娘、 立川松代(1864/元治元年-1943/昭和18年)。湘蘭は父から彫刻を学び、山車彫刻や置物などの作品を残した。


      
      4. 子持寅下面の銘 「大正壬戌初冬立川湘蘭女刻」
          (大正壬戌は大正11年、1922年=湘蘭58歳)

         ※参考資料「特別展 立川一門展」(半田市立博物館)
 

 写真2の啄斎(1817文化14年-1887/明治20年)の虎と、写真3の娘湘蘭(1864/元治元年-1943/昭和18年)の子持寅。啄斎は本物の虎を見ることはなかったかと思われるが、湘蘭は1889年開校された東京美術学校(旧制、現東京芸術大学)で学んでいて、同じ敷地内の上野動物園が1882年(明治15年、湘蘭18歳の時)に開園しているところから、実物を見て彫ったと思われる。顔といい、頭といい、子寅といい、すばらしい迫力が感じられる作品である。

 この二つの彫り物は、果たしてどのような経過をもってして、1922年に彫られてから実に88年の時空を超えて会することになったのか、不思議です。

                                 



続編 虎の子渡しとバラモンの塔(ハノイの塔)

 来々軒で機嫌良く飲みすぎて、なけなしの虎の子3000円を渡したという話ではありません。

  虎の子渡しとは、 虎が子を三匹生むと、その中には必ず彪が一匹いて他の二匹を食おうとするので、
川で丸太橋を渡る際に子を彪と二匹だけにしないよう子の運び方に苦慮するという故事から、
無理算段すること、苦しい生計をやりくりすることのたとえである。

 渡り方は
 付録・虎の切手(上と左下は中国切手、
  右下は日本切手 「龍虎図」橋本雅邦)
 ①彪を口でくわえて渡す  
 ②戻って
 ③一匹をくわえて渡し
 ④彪をつれ戻し
 ⑤もう一匹をくわえて渡し
 ⑥戻って
 ⑦彪をくわえて渡る

          都合7往復する。

 ここで何やら似ていると思い出したのが、バラモンの塔の話。

 《 その昔、ガンジス河のほとりに「バラモンの
  塔」という塔があって、一枚の板の上に三
  本の棒が立っていた という。そしてそのうち
  の一本には、下から大きい順に64枚の大き
  さの違う黄金の穴あきメダルがさしてあった。
   さて、塔には一つの伝説があり、
  この黄金のメダルを一枚ずつ別の棒にさしかえ
  て、全部のメダルが別の1本の棒にすっかり置き換えられたとき、この世界が
  終末を告げるというのである。
   ただし、これを試みるものは、次の掟を守らなければならない。
   (1) 1本の棒から抜いたメダルは、別の2本の棒のいずれかに
     さしておかなければならない。
   (2) 大きなメダルを、小さいメダルの上に重ねてはならない。

     それでは、バラモン教のいう世界の終末は、いったいいつなのであろう。

      かりに3本の棒をⅠ、Ⅱ、Ⅲ棒としよう。メダルが64枚でなく1枚だけだったら、
  メダルをⅡかⅢへ1回移せばよいから、1回ですむ。
    メダルがAB2枚になると、まず小メダルAをⅡに移し、メダルBをⅢに移し、次に
  ⅡのAをⅢのBに乗せて計3回。 
    メダルがABCの3枚になると、まずⅡへAを、ⅢへBを移し、次にⅡのAをⅢのBの
  上に乗せてCをⅡへ、さらにⅢのAをⅠへもどして、ⅢのBをⅡのCの上に、最後に
  ⅡのBCの上にⅠの Aを乗せて、計7回。

     メダルの数がますにつれて、回数も1、3、7、15、31、63、127回と
  増えていく。
    これは1、2、4、8、16、32、64、128という数列に似ているだろう。

      結果は(2のn乗マイナス1)回である。
      バラモンの塔はn=64 の場合であるから、2の64乗マイナス1、すなわち、
     18、446、744、073、709、551、615  となる。

     これは1秒間に1回ずつメダルを移せたとして、およそ600億年かかるわけで、
  世界の終末は天文学の最初の推定よりはるかに遠い先のことになる。 》
       
                              
  (「暦と占いの科学」永田久・新潮選書より引用)

 
 さて、左の写真は、さる所で昔手に入れたメダル7個のハノイの塔。
 子供のおもちゃで売っていました。
 虎の子渡しはメダル3枚の場合と同じ。

    2の3乗マイナス1=7回
                    となるのでした。
 
                                       (2010年10月22日)