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建物名 小井川観音堂
所在地 岡谷市東銀座1-14-2
竣工年 1940(昭和15)年
延床面積 155.12㎡(47坪)
木造平屋建
境内にあるだるま堂とともに、岡谷市建造文化財に指定されている。隣接する小井川平成会館(区民会館)は1989-90年(平成元年-2年)に増築、その設計監理を当社で請け負った。
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建築基準法や建築士法は昭和25年5月24日に制定されていて、
建物を建設する時は確認申請をすることや、一級、二級建築士の制度が決まり、
一定の建物は建築士が設計することが定められている。
以来62年、一級建築士の下番号は36万台になっている。
亡くなった人や、廃業した人を考えると30万人位が所有していると思われる。
時の建設大臣は田中角栄氏で、
建設業に従事していて経験もあったところから一級建築士の1番を付与されたと言われているが、
(当時は一定の経験があれば付与された)本当かどうかわからない。
古くは1919(大正8)年に市街地建築物法が施行されて、
住居地域、商業地域、工業地域を指定して建設できない建物を取り決めている。
全頁はA4で4頁しかない。(市街地建築物法を検索して参照を)
現在の建築基準法や施行令、建築士法、告示条例は全部で何万頁になるのでしょうか。
あまりにも難しい法律になっていて、専門家でも四苦八苦する。
法律が詳細にわたるのは国が疲弊してくる前兆と言われているが、一面納得することもある。
さてここに紹介するものは
昭和14年9月20日に発行された建築届出済証
(小井川区所有保存)である。
岡谷第66号とあって
建築場所は岡谷市大字小井川8839-1、
建物用途は青年道場、
届出者は小井川総代 宮坂豊治。
受理印は長野県の角印と横道(担当者か)の丸印がある。
実はこれが、現在の小井川観音堂の建物である。
宮坂豊治は私の祖父。
宮坂兄弟組、岡谷土木建築㈱を経営して建設業に従事していた。(HPの「50周年に寄せて」でも紹介した) 何故、青年道場なのか・・・Level 2
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