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日中戦争が始まったのが昭和12年7月7日(盧溝橋)、12月には南京陥落。
青年道場が建設された14年には東京銀座で戦車が示威行進を行って、
東京では満蒙満拓青少年義勇軍2500人の壮行会が行われている。
そんな中での観音堂の建設は認められにくかったため、青年道場という名称で建設されたようだ。
この建物の図面3枚が小井川区に保存されているが、
実は、3枚それぞれの設計図で「小井川観音堂」と書かれた部分が、
2枚目のみ「大山町西迎寺」とある。
1枚目と3枚目の「小井川観音堂」は貼紙された上に書かれており、
「大山町西迎寺」を「小井川観音堂」に修正していることがわかる。
図面には1、2枚目の左下に「昭和八年十一月 平塚市県立高女前 設計 天野工務所」とある。
平塚市にあった天野工務所が設計して材料を刻んだものの、戦争で再建はかなわず、
なんらかの縁でこれらの図面や木材を譲ってもらい、小井川観音堂の本堂再建に使ったようである。
調べてみると、西迎寺は、塚市の隣にある伊勢原市の大山にかつてあった浄土宗の寺院。
昭和27年、それまでこの地に散在していた同じ浄土宗の西岸寺、相頓寺とともに合併され、
誓正山茶湯殿涅槃寺(通称茶湯寺)が創建されている。
大山をケーブルカーで登ると阿夫利神社下社、さらに山頂には本宮があるようで、
機会があったら、この大山という地に訪れてみたいものです。
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