所長コラム  正博のアレレ!コレレ!のコレレクション     
其の弐・佐渡両津海岸の石
   

昭和64年の2月、昭和天皇が崩御されたが、ちょうどこの時だった。

共栄製作所の武井久芳氏から電話をいただいた。
「佐渡へ工場をつくると、いくらかかるかな」という内容で、
一瞬声が出なかった。佐渡?

高卒の技術者を数人就職させて何年か研修をさせてきたが、
工場をたてて、仕事をつけて郷里へ帰すとのことで、その思いと構想に驚かされ、感心した。

以来、佐渡へ行くこと1年間に7回、
初めて行った時に両津の宿舎の東の海岸で拾ってきた石が、これである。

なんと直径6cm位の円い石がごろごろしていた。
寄せては返す永劫の時に転がされた円い石。
思わず記念に拾ってきた。

工場は無事できた。
荷おろし用のクレーンをつけたが、当時の両津市の担当が
これで初めて「工業統計に数字が出る」と言われて、びっくりした。
以来20年余経過し、潮風で軽量鉄骨がさびて、腐食すると聞いたり、
「新潟は湿度が高く、石膏ボードが使えない」と聞いたり、
驚くことがたくさんあった。

帰りのジェットフォイルの中で
佐渡の酒と街中の魚屋であつらえた分厚いタラの一夜干しの焼いたのをつまみに一杯やるのは
酒飲みの楽しみだった。

ちなみに、日本の中で自立して生活できる島は佐渡だけとのこと。

寒い冬でも、島の上空を厚い雲が通り過ぎて雪が降らないし、
意外と暖かく、冬でも青い雑草が生き生きしていたのには驚いた。

現場担当の30代中ごろの代人さんは、朝早く舟を出して魚釣りに行ってきたとのことで、
「今日は黒鯛が釣れた」とか言っていたが、私の口に入ることはなかった。
何とも幸せな生活だと思った。

 
                                   (2012年4月27日)